船橋洋一の世界ブリーフィング

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No.772 [ 週刊朝日2006年2月3日号 ]

あの金正男も乗っていた金正日訪中の“お召し列車”は、中国式改革・開放モデルを積んで北朝鮮に帰ったのか

「中国はやっぱり不透明だ、などと海外のメディアからは批判されましたが、これは先方のたっての要望でしょうがなかったのです。金正日総書記の訪中の間はいっさい、それに関する情報を明かさないようにと」

「もっとも、日本のテレビ局は列車の姿をばっちり放映したようですね」

 北京で食事をともにした中国政府高官は、そう言って笑った。

 余裕を感じさせる言いようである。金正日訪中は、中国にとって外交得点になったということなのか。

 訪問・行事終了後ようやく報道を許された中国の公式メディアによれば、金正日の訪中は、1月10日から18日。昨年10月末訪朝した胡錦涛国家主席の招待に応えたものだ。

 訪中を終えるにあたって、金正日は中国の国力が全般的に増大している姿に「強い印象」を受け、「中国、中国共産党、中国政府が進める持続的な社会経済発展政策について、よりよく理解できるようになった」と述べた。その上で、「北朝鮮も中国が推進したように、自分の国の国情に合った開発の道を模索していくために、中国ともっと交流、協力を強めるつもりだ」と語った。

 今回の訪問先は、武漢、宜昌、広州、珠海、深せんである。また、17日には胡錦涛の案内で、北京の農業科学院作物科学研究所を視察した。その模様は国営メディアで大きく報道された。宜昌には三峡ダムがあり、珠海、深せんは、海外からの投資を呼び込むための経済特区として発展してきた。

 改革は、工業でも鉱業でも情報産業でもなく、まず農業から行うべきである、電力は原子力より水力を重点に据えてはどうか、改革を進めるには開放を同時に進めなければならない、両者は車の両輪である、といったメッセージがそこにはこめられているだろうか。

 高官は「訪問地は、金正日総書記の希望を入れて選んだ」とわざわざ念を押した。中国が中国式経済反転モデルを北朝鮮に押し付けようとしているのではない、と強調したかったようである。

 しかし、ここ数年の北朝鮮を見る限り、改革の打ち上げ花火は線香花火に終わる例が多い。本当に改革しようとすれば、将軍様の「先軍政治」(注1)を変えなければならない。しかし、それは米国の敵対政策がある以上できないとの立場だ。

 今回、軍首脳たちは同行しなかったと言われる。

 6者協議には出席することを中国に約束して中国の顔を立てながら、北朝鮮の偽札や資金浄化などの不法活動にメスを入れ始めた米国を牽制するため、北朝鮮が中国の指導の下に本格的な改革に乗り出そうとしている、下手なまねはさせないぞという“中朝血盟”を誇示しようということなのか。それだと中国には迷惑な話となる。軍首脳が同行しなかったのは中国がそれを嫌がったからなのか。

 もうひとつわかりにくい。

 北京駐在の北朝鮮ウオッチャーの外交官は、「今回は、あまりにも唐突。ほとんど押しかけ的に来たことは間違いない。ひょっとして、隠れた狙いはメディカル・チェックではないか」と憶測をたくましくする。

 ところで、金正日は中国とロシアに旅行するときはほぼ決まって列車に乗っていく。飛行機は使わない。今回もその例外ではなかった。

 21両の客車を2両の機関車が引っ張る。車列は23両仕立てである。車両数は、普通の列車の2倍だ。

 この“お召し列車”は、米大統領のエアフォース・ワンに相当する。米国流に言うならば、アムトラック・ワンといったところだ。

 金正日は2001年7月、ロ朝国境からモスクワまで往復24日間、この列車で旅をした。コンスタンチン・プリコフスキー大統領全権代表(ロシア極東管区)は全期間、同乗した。

 彼によれば、車両には会議室、宴会場、防弾ガラスのメルセデス・ベンツ2台の駐車場などがあり、25人のボディーガード、10頭の番犬などを含む、全部で150人ほどの一行だった。医師も同行。手術室も完備しているようである。

 なぜ、列車を使うのか。

 彼自身はプリコフスキーに次のように語っている。

「外国のメディアは私が飛行機恐怖症にかかっていると書いているようだが、それは違う」

「飛行機と違って、列車は燃料を浪費しない。列車なら車窓からロシア人の暮らしぶりを見ることもできるし、途中で土地の人々に話しかけることもできる」

 金正日は1965年にインドネシアを訪問した際、飛行機に乗っている。だから、飛行機恐怖症で乗れない、というのではない。

 ただ、飛行機は何かあったときに、コントロールできない。それが怖いのかもしれない。誰もが持つ恐怖感だが、独裁者は、自分でコントロールできないことに対しては偏執狂的な恐怖感を持つものだ。

 父親の金日成も列車旅行を好んだ。83年には四川省・成都まではるばる旅をした。金日成が杜甫の詩が好きだという、それだけの理由からだった。

 毛沢東も、大の飛行機嫌いだった。

 文化大革命時代、中国は党・国家の首脳の移動は列車を使うべし、という内規をつくった。北朝鮮も同じような内規を持っている。

 そうした話を教えてくれた中国人のベテラン記者は「結局、彼らが飛行機を嫌いになった最大の理由は、飛行機の性能、メンテナンス、そして何よりもそれを管理、点検している人間を信用できないという点に尽きる」と言った。

「ただ、金日成の場合は、到着時間まで発表した。金正日の場合は何も知らさない、何も書いてはならない、と異常だ。04年の竜川の爆破事件(注2)以来、神経過敏になっていることもあるのだろう」

 最後に、事情通の中国の友人が耳打ちしてくれた話を紹介しよう。

 今回、経済、技術関係の閣僚や高官、さらには北朝鮮のトップ外交官である姜錫柱などに交じって金正日の長男である金正男が同行したという。

 金正男といえば、偽パスポートで日本に入国しようとして失敗、スキャンダル(注3)になったことは記憶に新しい。科学技術関係の要職についているといわれるが内実はわからない。ただ、彼が乗っていたことは間違いないようだ。「だからといって、彼がこれで後継者に決まりとかそういう話ではまったくないと思う」と友人は付け加えたが……。


注1 「革命と建設に関するすべての問題を軍事先行の原則で解決し、軍隊を革命の柱にする政治方式」(労働新聞)。

注2 04年4月、平安北道竜川郡の竜川駅で起きた。訪中後の金正日が乗った特別列車が通過してから約9時間後だった。

注3 01年5月、同行した女性と東京入国管理局に拘束された後、国外退去処分に。過去の訪日や飲食店での振る舞いなども報じられた。