船橋洋一の世界ブリーフィング

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No.779 [ 週刊朝日2006年3月24日号 ]

北朝鮮の人権問題、核問題と並ぶテーマに浮上か

 カリフォルニア州の名門リベラル・アーツ大学、クレアモント・マッケナ(CMC)で、学生たちと話す機会があった。

 そのうちの一人、マイケルがLiNK(Liberty in North Korea)について熱っぽく語った。

 LiNKは、北朝鮮の人権問題に取り組む市民運動である。

 次のような運動方針を掲げている。

 ▽北朝鮮の実情を世界に知らせる

 ▽北朝鮮の人権、政治的・宗教的自由、人道支援に焦点を当てる

 ▽それらの問題を少しでも改善するための効果的な行動を取るよう、世界の市民をもり立てる

 ▽現在そうした行動をしているNGOや各種の団体がともに力を合わせることができるよう支援する

 ▽世界に真実を語る

 マイケルは1カ月前に、CMCにLiNKの支部を開設した。30人の学生が集まり、北朝鮮の人権問題について議論した。

 「韓国系、アジア系の学生が多かったですけど、人権問題に関心のある学生も来てくれました。ちょっと前だと、北朝鮮の人権問題といっても誰も関心を示さなかったと思います。変化が生まれてきていると感じました」

 変化をもたらしたのは、ドキュメンタリー映画「ソウル・トレイン」のおかげだと言う。

 この映画については以前、このコラム(2004年12月10日号)で紹介したから、ここでは詳しくは触れない。

 北朝鮮から中国へ逃れる脱北者を支援する人々の活動に光を当て、北朝鮮の難民と人権に何ら有効な措置を見いだせないばかりか、見て見ぬふりを決め込んでいる国際社会を告発した映画である。

 LiNK支部立ち上げの最初の集会でもこの映画を上映し、その感想を語り合うところから議論を始めたという。

 LiNKは2年前、エール大学を卒業したばかりのエイドリアン・ホンが始め、瞬く間に全米の大学キャンパスを中心に、200の支部が生まれた。

 LiNK自体は、アムネスティ・インターナショナルと同じく非宗教団体である。

 この点、北朝鮮人権問題に取り組んでいる米国の多くの組織がキリスト教団体であるのとは違う。

「キリスト教団体とも積極的に提携していこうと思っています。ただ、私たちはあくまで世俗的な団体であり続けたいと思っています。キリスト教団体の中には、脱北者を改宗させることそれ自体を目的としているような団体もありますが、そういう考え方ややり方には違和感を覚えます」

 そうマイケルは言った。

 CMCのリー・チェジン教授は、「米国内のキリスト教団体は従来は北朝鮮に同情的だったが、このところ北朝鮮の人権問題に焦点を当て始めており、体制に厳しい姿勢を取り始めている」と言った。

 リー教授は、世界的に著名な朝鮮半島問題の専門家である(注)。

 宗教右翼をはじめ米国のキリスト教団体はここ数年、世界のエイズ、貧困、人権、圧政、テロなどの問題への取り組みがめざましい。かつては、リベラル系が世界の問題に関心を示したが、いまは宗教右翼系の関心が強い。

 ブッシュ政権が、05年8月、北朝鮮の人権問題に取り組むための特使を設置したのも、キリスト教団体の強い働きかけゆえである。

 現在、ジェイ・レフコウィッツ氏がその特使の職にある。

 もっとも、米国の最大の関心事は北朝鮮の核問題であり、政策優先順位は、6者協議の場での朝鮮半島の非核化の実現である。

 しかし、核問題はなかなか進展しない。それに伴って、米国内でくすぶっている北朝鮮に対する体制転換論が勢いを増している。

 その際、人権問題が新たな標的になりそうな気配だ。

 宗教右翼の中にはもともと、人権問題をテコに金正日体制の転覆をはかりたいという情念もある。

 北朝鮮が事実上の核保有国になりつつある中、そうなれば、最後は体制転換による非核化を考えざるを得ないという計算もある。

 北朝鮮との「和解」を正面から掲げる盧武鉉政権は、ブッシュ政権の人権外交の行方をいぶかしがっている。

 昨年末、レフコウィッツ特使が訪韓した際、統一相も外相も彼には会わなかった。米国の人権外交は政権転換のための陰謀であると攻撃する北朝鮮を刺激しないようにという配慮である。

 これに対して、米政府は「米政府には北朝鮮の人権問題を取り上げる際に何らの“隠れたアジェンダ”などない。ただ、北朝鮮の人々の生活条件をよくしたいと願っているだけだ」(バーシュボウ駐韓米大使)との立場を強調している。

 北朝鮮の人権問題の深刻さは改めて言うまでもない。

 ただ、その問題にどのように臨むかとなると、意見が大きく分かれる。

 国際的に外から圧力をかけ、変えさせようとする米国のやり方に一貫して批判的なのは金大中前大統領である。

 金氏は次のような問題を提起する。

 ▼まず、人権状況を改善するため禁輸が役立つのかどうか。
「米国は、キューバに禁輸政策を50年近く採り続けているが、共産体制を変化させることに失敗した。また、一発の銃声もなしに中国を変えたではないか。一方、ベトナムの人権状況はこの間、まったく改善しなかった。なぜなら、米国はベトナムと戦争したからだ」

 ▼次に、政治権力に照準を合わせた上からの体制変革型のアプローチではなく、民衆に焦点を当てた下からのグラス・ルーツ型のアプローチが効果的なのではないか。
「北朝鮮の人々には、食糧や衣服などを与えることで人権状況を改善することができる。南北の離散家族の再会をもっと進めることでも改善することができる」

 ▼それから、外からの圧力ではなく中からの変化が生まれなければ人権状況はよくならないのではないか。そのためには、人権の経済的、社会的な基盤を築くことが大切なのではないか。
「北朝鮮もまた中国と同じように、経済、社会的変化のあとに政治的人権が少しずつ芽生えてくるだろう」

 マイケルも、こういう点をどう考えたらいいか、もっと勉強してみたい、と私に言った。昨年夏、ソウルに行き、韓国の学生と交歓、この問題を話した。

「ほとんどの学生が、北朝鮮の人権より南北統一のほうがはるかに重要だし、はるかに関心がある、と言っていた。ずいぶん違うなあ、と思った」

「ここでの活動も極力、エスニック(民族)の要素は抜いて、普遍的な人権という考え方で訴えています。民族主義で物事をとらえたくないのです」

 マイケルは米国生まれの韓国系(コリアン)米国人である。


注 教授の最新刊は、A Troubled Peace:U.S.Policy and the Two Koreas(Johns Hopkins University Press,2006)