船橋洋一の世界ブリーフィング

船橋洋一顔写真

No.780 [ 週刊朝日2006年3月31日号 ]

米国が悲観主義に傾くとき、米国のソフトパワーは衰える

 毎日、ワシントンで開かれているパワー・ブレックファーストの一つに招かれた。

 テーマは最近、お定まりの「中国の挑戦」で、私もコメントさせられたが、食事中、同じテーブルに座った東南アジアのある国の駐米大使が言った。

「米国の問題は、ソフトパワーの低下だ。米国は中東で嫌われているだけではない。世界中で嫌われている。ブッシュ政権はいったいどうするつもりなのか」

 その席には、ブッシュ政権の政府高官や前クリントン政権の政府高官もいたが、別に反論もしなければ異議申し立てもしない。2人とも、「そうなんだよね。困ったことなんだ」という顔をするだけである。世界の嫌米感はいまや世界の常識だから、わざわざ反駁(はんばく)する必要もないのかもしれない。

 世界33カ国の国民を対象に行ったBBCの世論調査がこのほど発表された。

 世界に対して「肯定的な影響」と「否定的な影響」を与えている国をそれぞれ聞いたところ、米国はイランに次いで世界でもっとも「否定的な影響」を与える国になった。

 米国は嫌われているだけではなく、拒まれ、退けられている。

 ただ、それは、米国のソフトパワーの衰えを反映しているのだろうか。

 ソフトパワー学の元祖、国際政治学者のジョセフ・ナイ(ハーバード大特別功労教授)によると、

「ソフトパワーとは、あなたの目的を受け入れるように相手を引きつけ、説得することで、あなたの望むものを手に入れる能力だ」

「それは軍事力と経済力両面でニンジンと棍棒を使い、あなたの意思に従わせる能力であるハードパワーとは異なる」

 ということになる。

 ソフトパワーは、単に非軍事力ということではない。

 ソフトパワーは、魅力とか磁力とか相手を引きつける力である。こちらが求めて相手に何かをさせるのではなく、相手がこちらの求めることを進んで行う。

 米国にはいくつもの魅力がある。たとえば次のような力である。

(1)個性と可能性を思う存分伸ばす精神と伝統、それによる個人の想像力と突破力

(2)社会のどの分野もどの階層もどの水準も才能と努力と運次第でドアを開かせ、極めることができる移動力と動員力

(3)どの国のどんな人だろうが、移民として受け入れれば、働き、学ぶ機会を与え、2世代で社会上昇気流に乗せてしまう移民力と同化力

(4)高等教育、シンクタンク、財団、NGOなど分厚い知的インフラを整え、その中で時代の要請に応えるアイデアを歓迎し、生産し、消費し、再生産するアイデア力とアイデアの普及力

(5)自らの理念と長期的な国益を維持し、拡大するため、国際社会のルールと体制をつくり、世界の国々にそれを守らせる規範力と体制力

(6)他がまねたいと思うような資質や能力や可能性のある国、社会というモデル効果を感じさせる模範力と投影力

 さて、このうち、どの力が衰退しているだろうか。

(1)グーグルの出現を見ても、まだまだ健在とわかる。

(2)ハリケーン・カトリーナで露呈したように、福祉漬けの黒人貧困層がこのソーシャル・モビリティーの気流に乗れないが、これらの力はなお強い。

(3)9・11テロ後の愛国者法(注1)制定や情報機関によるテロ容疑者や関係者の盗聴のように米国が「外からの流入者」に非寛容になりつつある面が見える。ただ、移民を前向きに抱擁し、激励する姿勢は変わらない。

(4)この力はますます強まっているように見える。むしろ、米国の問題は、この面で世界に競争者が少なすぎることである。

(5)ここがいちばん問題な点である。UN(国際連合)、WTO(世界貿易機関)、NPT(核不拡散条約)、いずれも、米国が戦後、苦労して作り上げてきた体制(レジーム)である。しかし、ブッシュ政権は、国連など無用の長物と叫ぶネオコンを大使にした。核保有国の軍縮義務はサボりながら、非核保有国の核開発を「反拡散力」(counterforce)によって力で押しとどめようとする。その一方で、インドを将来の対中バランサーに育てるため、インドの核を正当化し、核クラブに入れようとしている。

(6)この力が萎えてきた。ブッシュ政権ほど「二重基準」(ダブル・スタンダード)を批判される政権も珍しい。この政権は、人権と民主主義を世界に広めれば、世界はより平和になり、テロも少なくなると主張する。しかし、テロ戦争の過程で、アブグレイブ監獄事件(注2)やグアンタナモ収容所事件(注3)が起こった。テロリストとの「戦争」と言いながら、捕らえた者は捕虜として扱わない。拷問もする。人権無視もいいところだ。パレスチナの自由選挙を中東大民主化の一環のように持ち上げたものの、ハマス(注4)政権ができると経済封鎖に切り替える。

 9・11テロ後、米国は人が変わったように国が変わった。

「人に好かれたい」という気持ちが人一倍強い国民が、いまでは「人に怖がられたい」と思うようになったように見える。イラク、イラン、北朝鮮と、何をやってもうまくいかない面倒な世界から手を引いて、米国に引きこもりたいという気持ちが強まる可能性もある。

 一方で、(1)(2)(3)(4)といった米国のソフトパワーはまだまだ強靭である。米国にはまだまだたくさんの魅力が備わっている。

 それでも、ディック・チェイニーという「暗闇の王子」のテカテカの顔を見るたびに、米国は逆に暗くなったと思う。

 その秘密主義、徒党主義、一国主義、軍事主義など暗さの原因はさまざまだが、私は、彼の最大の暗さは、その悲観主義ではないかと思う。

 9・11テロ後、米国人は世界について、米国の先行きについて、かなり悲観的になった。その代表がチェイニーだったに違いない。

「行動しないことのリスクは行動をすることのリスクより大きい」

 そう言って、テロリストやテロ国家に対する先制攻撃や予防攻撃を正当化した。

 それでも、恐怖は消えない。悪いほうへ悪いほうへと物事を考える。次から次へとコンティンジェンシー・プラン(有事・緊急事態計画)である。

 ブッシュ政権の前高官はこんなふうにチェイニーを評している。

「チェイニーの無慈悲な悲観主義は、長続きしないと私は思っていた。ある程度時間がたてば、人々は恐怖以上のもの、前向きのビジョンを求めるものだ。しかし、チェイニーにはそれはない」(ワシントン・ポスト紙=3月12日)

 米国に持ち前の楽観主義を取り戻してほしいと思う。

 それこそが、米国の最大のソフトパワーだったのだから。


注1 2001年10月にテロ対策として成立した法律。政府に盗聴や捜索の権限をほとんど無制限に与えている。

注2 米兵によるイラク人虐待。報道された写真には、裸のイラク人がつくった人間ピラミッドのそばで女性兵士が笑っているものなどがあった。

注3 キューバにある米軍基地でのイスラム教の聖典コーラン冒涜。米国防総省によると踏みつけたり、看守の小便がかかったりするなどした。

注4 87年にパレスチナ・ガザで結成された。イスラエルの存在を認めず、00年以降、自爆攻撃を繰り返している。