船橋洋一の世界ブリーフィング

船橋洋一顔写真

No.781 [ 週刊朝日2006年4月7日号 ]

WBC優勝。ベストチームとベストスタイルで勝った。王監督にもMVPをあげたい

 シャンパンを頭から浴びて、キャーキャー言っているイチローの姿が映る。イチローって、あんなにはしゃぎ回る人だったんだ。王監督も、髪から流れ落ちるシャンパンを顔を洗うように拭っている。

 ああやってみんな涙がこぼれそうになるのをこらえているのかな、と思ったりした。

 イチローも松坂も誰もが「素晴らしい仲間」という言葉を使い、このチームの仲間と一緒に戦った喜びと幸せを語っていた。

 心からほとばしりでる言葉だ、そうなんだろうなと思って、聞いた。私の胸も高鳴った。

 WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は、米大リーグの現状とあり方を根本から問うた。

 決勝が、米大リーグで活躍する選手をたくさん抱えたベネズエラ、ドミニカ共和国、プエルトリコ、そして米国ではなく、2人だけの日本と皆無のキューバの間で行われたことは、米大リーグのいまのお寒い現状を物語っているとの指摘が相次いだ。  MLB.comのバリー・ブルームは、次のように書いた。

 MLB.comのバリー・ブルームは、次のように書いた。

「WBCトーナメントは、米国以外の世界のほうが米国人が認識しているよりずっといい野球をしていることを示した」(3月22日)

 同じくMLB.comのマイク・ボーマンはこんなふうに記した。

「われわれも昔は、投げて、捕って、走って、バントして、盗塁したものだ。スピードを重視したものだ。それがいまでは、ただ大ホームランをかっ飛ばすことばかりに夢中になっている」

「米国はいまなお世界で最高のベースボールタレントを擁していることは間違いないが、このトーナメントで見る限り、それはベストチームではなかった」(3月21日)

 WBCと時を合わせるかのように、バリー・ボンズ(注1)が1998年から違法薬物(BALCO steroid)を使用していたことを暴露した本が出版された。米国の野球ファンは、むなしさにとらわれている。

 行きすぎたパワー崇拝とタレント尊重とボトムライン(採算点)主義が、米国の野球をステロイド野球、グラディエーター野球、エキシビション(見せ物)野球にしてしまったきらいがある。

 それだけに、日本とキューバの両チームが、個々のスターの寄せ集めではなくチームとしてのまとまりとスタイルと精神をたたえていたことに多くの米国人は打たれたようである。

 今回の真の勝者はどの国でもどのチームでもなく、野球そのものだった、という論評も目に付いた。

 米国のキューバ禁輸と反カストロ政策も、キューバチームの参加を阻むことはできなかった。野球が政治を黙らせた。

 チャベス大統領の反米スローガンを毎日のように吹き込まれているベネズエラの国民も、WBCの期間中は、野球が“メード・イン・アメリカ”であることは忘れて、楽しんだ。

 メキシコは、フェルナンド・バレンズエラ(注2)の活躍以来、野球が盛んになりつつあるが、今回、米国チームを破ったことで、国民は沸きに沸いた。野球はさらに確固とした地位を占めることだろう。

 ドミニカやベネズエラは米大リーグに多くの野球選手を“輸出”している。彼らは、子供のころから“野球アカデミー”でプロになるための英才教育を施され、最優秀選手が大リーグに売られていく。WBCは彼らに選手としての市場価値だけでなく、母国を代表する一人としての名誉を与えた。人生カネだけではない、献身と名誉の大切さを彼らは今回、感じたようだ。

 米国は、これまで米大リーグの米国一を決める勝負をワールドシリーズと勝手に銘打ってきた。

 だが、これからは、WBCがホンモノのワールドシリーズとなるだろう。

 それによって、米国が世界をもっと真剣に、自分の問題としてとらえ、より丁寧にかかわるきっかけになればいいなと思う。

 バリー・ブルームは、こんなことも言っている。

「米国が勝ち進まなかったことは結果的によかった。準決勝や決勝で、キューバや日本や韓国やドミニカの選手が見せたさまざまなプレーの冴えとスタイルを、米国のベースボールファンが堪能できたからである」

 ニューヨーク・タイムズ紙は、

「yakyu好きのあなたに」

 と題する社説を掲げた。

「日本の優勝は、米国だけがこのわが国技を永久に独占し続けるといった甘い考えが成り立たないことを示した……WBCトーナメントは、米国人に彼ら自身が大好きなこのゲームを、外国人の目を通して見ることで、もう一度再発見するまたとない機会を与えてくれるはずだ」(同紙、3月23日)

 ところで、小泉純一郎首相はWBC日本優勝の知らせに対して、「日本シリーズの緊張感と高校野球のひたむきさ。これが重なり合って多くの人に興奮と感動を与えてくれた」と語った。

 この政治家は、こういうところは憎らしいほど巧みである。

 緊張感とひたむきさ――彼は、日本野球の美学、つまり日本のアイデンティティーについて語っているのだ。

 しかし、それを日本流、日本式賛美にせっかちに定型化、定式化することは、グローバリゼーションたたきの復古主義、反動主義に悪用される危険がある(考えすぎかもしれないが)。

 道徳教育と生活指導と経営管理と会社社会を過剰に持ち込む日本流の「play baseballならぬwork baseball」(ロバート・ホワイティング=注3)を再び持ち上げ、個人より集団を上に置く恐れもある。スポーツは楽しむことだ、プレーのおもしろさに原点はある。記録と利潤にあるのではない。

 王監督の率いたこの日本チームのすばらしさは、個々の選手が自らのいちばんいいところを発揮しつつ、チームとしてのある種の風格をつくり上げたところにある。そのようにして、日本のベストチームとベストスタイルを世界に示した。王監督がエスニック的に中国系(父は台湾人)であることをわざわざここで言うのは野暮というものだろう。日本は、外に開かれた包容力を持つとき、いちばん力を発揮する。開かれ、寛容なアイデンティティー(日本像)を求めるとき、日本のよさが出る。

 王監督の采配も見事だった。

 対キューバ戦。王は、松坂を少し早めに引っ込めた。

 松坂は直球で勝負を挑み、相手をなぎ倒していた。キューバに対しては、アテネ・オリンピックのときも沈黙させた。自信に満ちあふれている。

 その松坂を絶頂のところで惜しげもなく、代える。

 このあたりが監督としてすごいところなんだ。

 松坂のMVPは当然。

 けれども、王監督にもMVPを差し上げたい、と私は心から思った。


注1 ジャイアンツの外野手(41)。歴代1位のシーズン73本塁打、歴代3位の通算708本塁打という大リーグ記録を持つ。

注2 メキシカン・リーグから、いきなり大リーグにデビューし、81年の新人王とサイ・ヤング賞をさらったドジャースの投手。

注3 野球を通した日米比較文化論『菊とバット』で知られる作家。日本人大リーガーの素顔を描いた『イチロー革命』もある。