船橋洋一の世界ブリーフィング

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No.786 [ 週刊朝日2006年5月19日号 ]

日韓とも、“陳水扁シンドローム”。米国の同盟国という「甘え」が、日韓摩擦を悪化させている

「本当に情けない。けんかばかりしている仲の悪い弟2人を持った兄のような心境だ」

 米政府高官は、そう言って肩をすくめた。

 竹島(韓国名・独島)の排他的経済水域(EEZ)の日本の測量調査をめぐって一時は、日本側調査船と韓国側警備船の物理的衝突を懸念された日韓摩擦について語ったのだが、あきれ顔である。

 続けて、彼は言った。

「日韓とも米国の同盟国だ。こんなことでは日韓が中国に軽んじられるだけだ。米国のためにもならない」

「NATO(北大西洋条約機構)でも、トルコとギリシャのようなケースはある。この両国も仲が悪いので、みんなはた迷惑している。しかし、日韓はトルコとギリシャとは違う。双方とも東アジアだけでなくグローバルに米国が頼りにする同盟国だ。対中国戦略にしても北朝鮮核問題にしても最初に声をかけなければならない同盟国だ。重みが違う。それが感情的にここまでもつれてしまうと米国のアジア太平洋同盟構造がひび割れるおそれがある」

 第1期ブッシュ政権の国務省高官(政治任命者)の一人は、韓国に批判的だ。

「今回の摩擦は、韓国のほうが感情的になっている。とくに、盧武鉉大統領は反日カードを内政、選挙のために使っている点、罪が重い。彼は、2002年の大統領選挙では反米カードを使ったが、07年大統領選挙は反日カードで与党・ウリ党を勝利させ、自分の敷いた路線を固めようということなのか。困ったもんだ」

 もっとも、現職の東アジア担当の国務省幹部は、日本に厳しい目を向ける。

「たしかに韓国のやり方はいただけないが、韓国がなぜ、こうまで反日になってしまったかを日本は虚心坦懐、省察するときだ。コイズミ(小泉純一郎首相)の靖国神社参拝は彼がどう説明しようとも、世界の人々に理解されるはずはない。しかも、靖国神社の歴史博物館(遊就館のこと)は、1930年代の日本を美化し、日本の戦争を賛美しているとしか思えない内容だ。いまでは、A級戦犯合祀問題よりこちらの歴史歪曲問題のほうが、世界の反日感情を増幅する結果となりつつある。韓国民が過去を美化する日本に怒るのは無理からぬところがある。靖国神社参拝問題があるため、日本の肩を持ちたいところでもそれができない」

 もう一人。米政府高官(政治任命者)は、言った。

「今回の事件では、日本が大人として振る舞った。やはり責任感が違うと感じた。米政府は、双方に自重を求めたが、日本のほうが先に真摯に受け止めてくれた」

 谷内正太郎外務事務次官が、韓国が6月の国際会議で海底地名の韓国名への変更提案を行わない代わりに、日本の測量調査を中止するという提案を先に示したことを指している。

 シーファー米駐日大使は、日本政府に「この問題では先方が非合理的かつ常軌を逸した行動に出る危険があるため、日本は一歩、後退してほしい。冷静に対応されることを切に希望する。双方の相争う顔を見たくない」と申し入れた。バーシュボウ米駐韓大使も、韓国政府に同じように「冷静対応」を申し入れたという。

 かくして、両国はかろうじて物理的衝突を回避した。

 しかし、この“休戦”状態がいつまで持つかは疑問である。

 盧大統領は、対日政策に関する「特別談話」を発表した。日本が竹島の領有権を主張する限り、日本との和解はない、と宣言したも同様の内容となっている。従来の領有権棚上げ、先送りをも認めない、とのシグナルとも受け取れる。

 それにしても、日韓関係をここまで悪化させた小泉純一郎首相と盧武鉉大統領の責任は重い。

 韓国の友人のベテラン外交官は昨年11月末、ソウルで食事したとき、「2人の変人のために日韓関係はメチャメチャにされた」と言い、悲しげな表情を浮かべた。その直前の惨憺たる日韓首脳会談に愕然としたという。

 盧政権の場合、人気低迷の中で5月の地方選を戦わなければならない内政事情があるだろう。

 両国とも若者を中心に火照っている民族主義感情が、反日、嫌韓感情を募らせている面もあるだろう。

 その背景に歴史問題をめぐる葛藤があることは間違いない。しかし、こうまで言いたい放題の日本たたきを、デモ隊の若者ではなく政府の首脳が公にするのは異常であり、異様である。

 ペンタゴンで長年東アジアを担当してきた幹部は、その底に韓国の米国依存心理、つまり「ディペンデンツィア(dependencia)」があると言う。心理的依存構造というほどの意味である。

 日本と何かあっても、いざというときには同盟国の米国が介入し、仲裁してくれる、だから、少々、日本たたきをしても、日本とけんかしても大丈夫という「甘え」があると言うのだ。

 彼は次のように言った。

「盧武鉉が反米をあおりすぎたものだから、国民の間から米軍撤退せよの声が澎湃(ほうはい)と出てきた。それに対して、米国内からはそれなら在韓米軍を引き揚げろという声が出てきた。ラムズフェルド(国防長官)が実際、撤退に着手すると韓国は激しく動揺した。その後、在韓の米韓連合軍司令部(CFC)=注=を米軍に握られているのは民族感情が許さない、韓国にやらせろとの声が噴き出た。ラムズフェルドは、そう、それなら来月からでもどうぞと突き放す姿勢を示すと、盧政権は、実施はもっと先、10年後くらい先で、ともう大うろたえだ。すべて甘えからきている」

 しかし、米国に対する「甘え」は、日本についても言えるのではないか。

 日本もまた、日米同盟をよいことに、とくに日中関係ではことさらにこわばった毅然姿勢を示しているのではないか。小泉首相の靖国神社参拝もある程度はそうした文脈でとらえることができるのではないか。

 日米同盟さえよければ、日本とアジアとの関係は放っておいても大丈夫と言わんばかりのアジア外交がどれほど日本の国益を傷つけたことか。

 それは、同盟をかさに着た虚勢外交のツケといってもよい。

 そういえば、ホワイトハウス高官がちょっと前に“陳水扁シンドローム”ということを言っていた。

〈台湾は民主主義国であり、中国のような一党独裁国家とは違う。しかも、われわれは、対中最前線で中国の軍事的脅威に日々、さらされている〉

〈したがって、米国は台湾の政治体制維持と安全保障には特別の考慮を払うべきであり、それらを守る義務がある〉

 そういった民進党政権の独善的、自己中心的考え方とパフォーマンスを批判的に触れたものである。

 日韓ともに“陳水扁シンドローム”にかかってしまったようだ。

 米国との同盟国であることからくる「甘え」を捨て去り、かけがえのない隣人として信頼関係を築くため、双方とも自立することが必要だ。


注 朝鮮戦争時に、韓国軍の作戦統制権(指揮権)は国連軍に移譲された。94年に平時の指揮権は返還されたが、戦時の指揮権は米軍が保持している。昨秋の米韓安保協議で、移管協議を始めることで合意した。