船橋洋一の世界ブリーフィング

船橋洋一顔写真

No.805 [ 週刊朝日2006年10月6日号 ]

ローマ法王「暴力による布教」発言が映し出す西欧・イスラム共通の危機

 ローマ法王ベネディクト16世の「イスラムは暴力による布教」発言が大きな波紋を呼んでいる。

 母国、ドイツのレーゲンスブルク大学での講義の中で、14~15世紀のビザンチン帝国マヌエル2世パレオロゴス皇帝の次の言葉を引用した。

「ムハンマドがもたらした新しいものを見るがよい。そこに見えるのは、剣によって信仰を布教する命令といった邪悪と非人間性だけだ」

 法王はまた、その講義の中で、イスラム教における「聖戦」の概念についても言及し、「宗教の名の下の暴力は、神の性質と理性に反する」と述べ、聖戦(ジハード)を批判した。

 瞬く間に、その発言は世界中に流れた。とくに「イスラムは剣、すなわち暴力による布教」との部分が春画的に報じられ、世界各地のイスラム社会から一斉に抗議の声が上がった。

 パレスチナ自治区ガザやイラクでは教会が爆破された。イラン、パキスタン、インドネシア、トルコをはじめ、ほとんどのイスラム国家で抗議デモが行われた。ソマリアではイタリア人のカトリック教会修道女が何者かに銃で撃ち殺された。法王に対するテロの脅しも伝えられている。

 法王は「大学での講義の中の二、三の発言がいくつかの国で引き起こした反応について非常に申し訳なく思っている」と遺憾の意を表明した。

「これらは実際のところ中世の文献からの引用であり、私自身の個人的な思想を表してはいない」

「この遺憾表明が、多くの人々の心を静め、私の発言の真の意味を明確にすることに役立つことができればと願っている」

 しかし、カタールのイスラム指導者、カラダウィ師は「謝罪は発言内容に対してではなくそれが起こした結果について行われており、不十分」と、アルジャジーラテレビのインタビューで批判した。

 法王はバチカンでの定例の一般謁見で、「宗教と暴力でなく、宗教と理性が結びつくのだと説明したかった」と釈明、「すべての宗教、とくにイスラム教」を尊重していると強調した。

 法王の発言と遺憾表明に対して、欧米の世論は真っ二つである。

 批判派は、

▼法王はもともと神学者だが、役目をはき違えているのではないか。法王である以上、神学者としての問題提起や論争をしてはならない。法王は寛容の心を最大限、体現しなければならない。不用意な発言である。

▼イスラムを暴力の宗教と決めつけ、イスラムへの嫌悪感をあおる類の議論と、法王の言葉が同列に扱われる危険を冒した。宗教間対話にマイナスである。

▼「文明の衝突」を引き起こすきっかけとなりかねない。こんな発言で喜ぶのはオサマ・ビンラディンだけだ。

 弁護派は、

▲法王は正論を唱えた。ムハンマドは戦争と征服によってイスラムを広めた。キリスト教も時に「剣」によってそれを布教したし、非信者と異教徒に対する弾圧もした。しかし、イエスは征服者ではなかった。キリスト教社会では、国家と宗教はつねに緊張関係にあり、それゆえに市民社会が生まれた。イスラム社会の国家と宗教の分離と市民社会の存在が、対話に不可欠である。

▲信仰と理性の両立が必要であることを説いたのも正論である。今回の法王の発言に対して、イスラム社会の一部が教会爆破といった暴力による意思表示をすること自体、イスラム社会が理性的な対話を十分にできないことを示している。

▲法王がかねて唱えてきた相互主義が、宗教間対話にとって必要であることを改めて痛感させた(相互主義とは、例えば、サウジアラビアは欧州のモスク建設に何十万ドルと寄付できるが、キリスト教の教会をサウジアラビアに建設することは認められない、といった状態を是正すること)。

 欧米諸国の政治指導者の多くは、火中の栗を拾わないよう沈黙を守っているが、その中でアンゲラ・メルケル・ドイツ首相が法王発言を弁護した。

「法王を批判する人々は発言の意味を誤解している」

「宗教の名の下の暴力はどんなものであれすべて拒否する決定的かつ妥協のない姿勢を示した」

 彼女と同じく保守党、CSU(キリスト教社会同盟)党首のエドムント・シュトイバー・バイエルン州首相(注)は、「宗教的動機に根ざした暴力の完全否定は、きわめて時宜にかなっており、世界が真剣に耳を傾ける事柄だ」とこれまた法王を弁護した。

 ドイツの高級紙、ディー・ツァイト編集長のヨーゼフ・ヨッフェ氏とこのほど久しぶりに会ったが、彼は「欧州の中でもっともイスラム系住民に寛容なリベラル政策を取ってきたドイツまでがイスラムとの共存への疑念を口にし始めた。歴史的なできごとになるのかもしれない」と言った。

 彼はまた、ドイツのカトリック系のほぼ10人に1人は法王発言を支持し、遺憾表明も不必要と考えている、とも言った。

 もう一つ、法王の講義で重要なメッセージは、欧州の「アイデンティティーの根っこはローマとギリシャである」という点を重ねて強調していることである。

 法王はローマ(キリスト教信仰)とギリシャ(哲学的理性)のみに基づく欧州像を思い描いている。

 法王は枢機卿時代、トルコのEU(欧州連合)加盟反対の見解を明らかにした。その理由はトルコはギリシャもローマも共有しなかったし、これからもしない、したがって、EUという欧州像とは無縁な存在であるというその一点に尽きる。法王は、「イスラム社会のリーダーとしてがんばってほしい」との言い方で、トルコを突き放すのである。

 しかし、ギリシャとローマだけでなくイスラム社会との長い交流──戦争と文明の両方を含め──の歴史もある。

 イスラム社会の中からも、イスラム世界最高の歴史家、イブン・ハルドゥーンを挙げるまでもなく、欧州と普遍的な理性を共有し、欧州に知的インパクトを及ぼした巨人が何人も輩出した。欧州の歴史にイスラムは欠かせない要素である。

 欧州が、イスラムとどのように共存していくか、していくことができるか、というテーマは宗教間対話だけでは難しいだろう。その底に双方が、歴史を共有することに対する覚悟を持たなければならない。トルコのEU加盟はその象徴であり試金石である。

 ところで、法王が講義の中でいちばん訴えようとしたのはイスラムとの共存や宗教間対話よりむしろ、西欧社会の中での理性と信仰の両立だった。

 その点では、キリスト教社会もイスラム教社会も同じ挑戦に直面しているということもできるのである。

 法王発言は図らずも、この二つの文明の紛争の潜在的危機をあらわにしたが、同時に、それぞれの文明がともに抱える信仰と理性の共存の危機をも映し出したと言えるかもしれない。


注 昨年の連邦議会(下院)総選挙後、メルケル首相率いるCDU(キリスト教民主同盟)、SPD(社会民主党)と「大連立」を組むが、入閣は辞退した。