船橋洋一の世界ブリーフィング

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No.812 [ 週刊朝日2006年11月24日号 ]

米軍のイラク撤退が、この中間選挙から始まった

 11月7日の米国の中間選挙で、メディアにいちばん同情された落選議員はロードアイランド州のリンカン・チェフィー上院議員だったかもしれない。

 世論調査では、同州の有権者の60%がチェフィーに好感を持っていると答えた。父も上院議員を長年務めた名門政治一家である。

 宗教右翼がハイジャックした形の共和党の上院議員の中では、チャック・ヘーゲル議員(ネブラスカ州)らと並んで中道・穏健派の代表格だ。2003年3月に開戦となったイラク戦争に反対した唯一の共和党上院議員でもあった。

 ロードアイランド州は、全米でもイラク戦争への反対、反感がいちばん強い州である。有権者の多くは、チェフィーがイラク戦争に反対したことは知っていたが、ブッシュ政権にシグナルを送るためにあえて彼をたたき落とした。

 一夜明けて、ブッシュ大統領は「イラクが選挙結果に影響を及ぼしたことは間違いないが、他の要素もある」と語った。敗北をすべてイラクのせいにはしたくないようである。

 こうした受け止め方は、イラク戦争を大いに宣伝したジョン・マケイン上院議員(アリゾナ州)にも通じる。マケインは、2008年の大統領選挙で共和党から出馬すると目されている。

 彼は8日の記者会見で、「もし、イラクが選挙結果を決めたというのなら、なぜ、ジョー・リーバーマンがコネティカットで勝ったのか」と問いかけた。

 リーバーマンは、民主党タカ派の代表格で、イラク戦争のトランペットを吹き鳴らした。それがたたって、イラク戦争批判を強めた民主党の同州予備選で敗れた。そのため、今回は独立派として上院議員選挙に臨み、当選した。

 マケインの発言は、そのことを指している。

 しかし、リーバーマンの場合は、知名度、集金力、集票力すべてに図抜けており、例外的と言える。

 負け惜しみは別として、やはり「イラク」が決定的に大きかった選挙だった。

 バージニア州の出口調査では、69%の投票者が「イラク」を今回の投票の「重要な要素」か「きわめて重要な要素」と答えた。

 そのように答えた有権者の多くが民主党の新人、ジェームズ・ウェブに投票した。ウェブは元海軍長官である。軍人の経歴もプラスに働いた。ウェブは共和党現職を破った。

 ペンシルベニア州の上院議員選挙では、民主党新人のボブ・ケイシーが共和党現職のリック・サントラムを破った。ケイシーは州の出納長である。

 ケイシーは選挙戦では、

「ペンシルベニア州からは136人の兵士がイラクで亡くなった」

「ワシントンの政治家がその責任を取るときだ」

 と訴え続けた。

 また、イリノイ州の下院選挙に挑んだ民主党新人、タミー・ダックワースの挑戦は大きく報道された。米軍のヘリコプター・パイロットだったが、イラクの戦闘で負傷し、両脚を失った。

 もう一歩及ばなかったが、車いすを駆って、支持者の間を走り回る彼女の姿はテレビで何度も映された。イラクからの撤退を訴える彼女の声は全国に流れた。

 有権者の56%は、イラク戦争と米国のイラク駐留に「ノー」と答えた。

 やはり同じ56%が、ブッシュの大統領としての仕事ぶりに「ノー」と罰点をつけた。

 さらに、同じ56%が、米国はイラクから撤退するべきだと答えた。

 民主党の重鎮、エドワード・ケネディ上院議員(マサチューセッツ州)が言ったように、この選挙は「イラク戦争に対する国民投票」だった。

 ここまで国民の心が離れてはイラクで戦えない。

 さすがのブッシュも選挙終盤には、それまで使ってきたイラク政策に関する“stay the course”(「規定方針どおり」)という表現を使うのをやめた。

 選挙後、ブッシュが最初に行ったことは、ドナルド・ラムズフェルド国防長官を解任し、父政権のときのCIA(米中央情報局)長官、ロバート・ゲーツを後がまに据えたことである。

 すでに敗北を予想していたブッシュは、この人事を選挙の2日前の日曜日に決定していた。

 ゲーツの最大の仕事は、どのように米軍を撤退させるか、である。

 米国史上最初の女性下院議長となるナンシー・ペローシ下院議員(カリフォルニア州)は、「イラク撤退」の立場を明確にしている。

 これに対して、共和党のマケイン上院議員は「もっと兵隊をつぎ込むべきだ」と主張する。

 もっとも、民主党も即時撤退論は少数派である。

 今回、当選した民主党新人の中には、南部と中西部の農村部出身の“青い犬(ブルー・ドッグ)”と呼ばれる保守派民主党員の躍進が目立った。彼らは共和党保守派とほぼ似通った思想、行動様式を特徴とする。即時撤退論には強く反対するだろう。

 議会民主党にとっての最初の試練は、イラク再建に対する予算配分をどのように行うかである。下院民主党執行部は「イラク戦争・イラク支援に対する予算の削減は考えていない」と言い始めている。

 ブッシュが民主党の主張に寄り切られる形でイラク撤退を始め、それによってイラクがさらに泥沼化した場合、非難は民主党に向かう危険がある。民主党はそのワナを警戒している。

 共和党の支持者の中からは、次のような悲観論が唱えられつつある。

「結局、イラクに中央政府をつくるのは無理だという現実を認める以外ない。より強力な米軍の存在がいまは必要だ。イラク近辺の大国(イランのこと)が介入しないように、また、流血(内戦のこと)がさらに拡大しないように……。イラク戦争は、統一イラクを無残な歴史から救おうとした試みだった。しかし、歴史は頑固であることを証明した」(ニューヨーク・タイムズ紙の保守派コラムニスト、デイビッド・ブルックス)

 第2次世界大戦後の内戦史によれば、内戦の継続期間は平均7年から10年だという。

 イラクはすでに事実上内戦状態にある。この歴史法則に照らせば、イラクは少なくともあと6、7年は内戦状態から抜け出ることはできそうにない。

 にもかかわらず、米国は、中間選挙の11月7日というこの日を境に、イラクからの米軍撤兵をアジェンダ(政策課題)にしたと見てよい。

 上下両院を押さえた民主党議会は政府要人に対する議会証言の「召喚状」を手にした。

 イラク戦争におけるハリバートン(注1)の役割とチェイニーの関与や、ラムズフェルドの“軍部いじめ”(注2)などを裁く政治的見せ場を演出する可能性もある。

 イラクの内戦は、米国の国内政治内戦によってさらに長期化するかもしれない。


注1 米エネルギー大手。イラク関連事業で利益を上げた。チェイニー副大統領が政権入り前、最高経営責任者を務めていた。

注2 ラムズフェルド前国防長官が、意見の合わない制服組幹部を冷遇した問題。退役将軍らに「独善的」と批判されていた。