船橋洋一の世界ブリーフィング

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No.831 [ 週刊朝日2007年4月13日号 ]

コソボの帰趨は、欧州統合の
次の50年を占うかもしれない

 コソボという欧州の片田舎の帰趨が、EU(欧州連合)の命運を占うことになるかもしれない。そんなことを感じさせた二つの動きが先週、交差した。

 潘基文国連事務総長は、3月26日、セルビア南部のコソボ自治州の「独立」を勧告するアーティサリ国連事務総長特使(前フィンランド大統領)の包括最終案を国連安全保障理事会に提出した。

 提案は、この地域が「安定する唯一の選択肢」はコソボの「独立」であるとした上で、多民族国家と民主主義を原則とする新憲法の制定、国際機関への加盟、多民族コソボ治安部隊の結成(独立当初は、NATO〈北大西洋条約機構〉による治安維持)、選挙実施、国旗や国歌の制定、などを勧告している。

 最大のポイントは「条件付き国家」(conditional state-hood)、あるいは「監督下国家」(supervised statehood)として、事実上の「独立」を認めたことである。

 コソボ自治州の人口200万のうち9割がイスラム教徒のアルバニア系である。歴史的にキリスト教徒(ロシア正教会)のセルビア系と葛藤を繰り返してきた。

 ミロシェビッチ政権がコソボ自治州のアルバニア系住民の独立運動を弾圧したことから、アルバニア系とセルビア系の間の民族紛争が火を噴いた。その後のNATOによる対ユーゴ(セルビア)空爆、ミロシェビッチ政権崩壊を経て、1999年から国連の暫定統治下に置かれている。

 セルビアはコソボの独立に反対である。コソボを「不可分の国土」とする新憲法を制定した。議会は、提案を拒否する決議を圧倒的多数で可決した。

 アーティサリ特使は、ウィーンで、セルビア、コソボ双方の首脳レベルによる最後の交渉を仲介したが、セルビア側が「セルビアの主権を侵害する」として提案を拒否、交渉は決裂した。その結果、国連安保理の判断に委ねることとなった。

 安保理は4月からこの提案についての議論を始めるが、すんなり決まるかどうかは微妙である。

 まずロシアが慎重である。

 プーチン大統領は、「セルビアが受け入れない解決策は賛成できない」とクギを刺している。ロシアはセルビアの“保護者”を自任している。ロシアが拒否権を行使すれば、コソボ独立提案は吹っ飛ぶ。

 ロシアが慎重なのは、コソボの独立がチェチェンの独立に飛び火しかねないからである。ただ、その一方で、コソボの「独立」が避けられない場合、ロシアに盾突くグルジアから南オセチア(注1)を独立させるべく、ロシアはコソボの「独立」と「国境線の変更」を先例に使うかもしれない。

 もう一つの常任理事国である中国も、台湾や新疆ウイグルを抱えている。コソボ独立提案に乗り気でないことは容易に想像がつく。

 非常任理事国の中ではインドネシアが慎重姿勢だ。少数民族問題に加えて、主権尊重論を展開している。大国の内政介入に警戒的なのだ。

 理事会は決定を先送りさせようとするかもしれない。

 しかし、これも危険な賭けとなる。

 2000年以後、完全独立を求めてきたコソボの忍耐は限界に近づきつつある。安保理が決定を先延ばしすると、コソボは一方的に独立宣言をする可能性がある。

 その際、英米両国は、独立を承認するだろうが、他の欧州諸国は承認をためらうかもしれない。欧米間、さらには欧州内部に亀裂が走る。

 もう一つ、コソボの南北分割案が噴き出す可能性もある。そうなれば、セルビア系の多い北部ではセルビア系住民とアルバニア系住民の間の民族対立がさらに深まるおそれが強い。

 コソボ自治州にはこれという産業はない。失業率は50%。麻薬や武器の密輸、人身売買などの組織犯罪が大手を振っている。イラク、チェチェンなどと同様、銃が街にあふれている。

 すでに、アルバニア系住民が、セルビア系住民を襲ったり、セルビア正教会の教会に放火する事件が多発している。州都、プリシュティナからほど遠くないグラチャニツァ村(人口約8千)はセルビア系住民が多いことで有名だが、主導権を握ったアルバニア系住民がセルビア住民への電力供給を制限している。

 そうなるとセルビアも黙ってはいないだろう。コソボ憎しの感情は、セルビア内部のアルバニア系住民迫害へと向かうだろう。東コソボと呼ばれるセルビア南部のプレシェボ渓谷などで双方の民族浄化が再発するかもしれない。

 ここは、コソボ自治州との境界から5キロのところにあるが、人口の大半はアルバニア系住民である。ここ数年、アルバニア系武装勢力が支配し、コソボへの編入を画策する動きが活発だ。

 コソボの真実は、人々が互いに恐怖心を持ったままの状態では、民族の共存と共生は難しいということである。

 ところで、3月25日には、EU加盟27カ国の首脳が議長国ドイツの首都、ベルリンに会し、欧州統合の基礎となったローマ条約(注2)調印の50周年を祝った。

 6カ国から生まれた欧州経済共同体(EEC)は、欧州共同体(EC)、そして欧州連合(EU)へと発展した。

 欧州統合の次の最大の課題は、欧州内のイスラム住民の統合であり、それとも関連して、トルコの欧州加盟である。そして、そこに「多民族主義と民主主義」原則を貫くことである。

 トルコは、人口(7200万)の99%がイスラム教徒である。トルコを欧州に統合することができるかどうか。

 ここにはイスラム教社会とキリスト教社会の共存という文明問題が横たわっている。「名誉殺人」(注3)に象徴される人権(女権)問題がある。トルコによるアルメニア人大量虐殺の「存在否定」(注4)に見られる歴史問題も引きずっている。

 しかし、欧州がイスラム系住民とトルコの統合に失敗すれば、欧州とイスラムはいずれは対決する運命をたどるだろう。

 欧州統合の成功は、民族と民族主義を飼いならしたことにあった。それだけに、冷戦後のバルカンの民族浄化は欧州にとって最大の汚点であり屈辱となった。

 米軍がミロシェビッチ体制を崩壊させ、民族浄化を終えさせた。ミロシェビッチは裁かれた。しかし、コソボは、バルカンの悲劇がまだ終わっていないことを告げている。

 人口200万のコソボの民族共存の姿は、人口5億のEUの民族共生の可能性の縮図であるかもしれないのである。


注1 グルジア北部の自治州。独立を目指しグルジア軍と衝突し、ロシア軍が駐留している。

注2 1957年、仏、西独、伊、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクがEEC設立に調印。

注3 婚前交渉をした娘などを「家族の名誉を汚した」として殺害する行為。

注4 第1次大戦中にオスマン帝国がアルメニア人を大量虐殺したとされるが、トルコ政府は否定し、虐殺を認めた言論人らを国家侮辱罪で訴追している。